Dialocal

地方経営者との対話コラム
「ダイアローカル」

#01
羽田知弘
代表社員

田舎から世界を獲るデザイン。nottuoが地方で中小企業にこだわる理由とは

nottuoが全国各地の地方経営者と対談する企画・Dialocal(ダイアローカル)を始めます。DialocalはDialog(ダイアログ:対話)とLocal(ローカル:地方)を組み合わせた造語。デザインと経営をテーマに『地方からデザインで変える』魅力的なシャチョーさん達を紹介していきたいと思います。
第1弾はnottuoの拠点である岡山県北・西粟倉村で同じくクリエイティブ事業に取り組む合同会社セリフの羽田くんをゲストに迎え、逆にnottuoを掘り下げてもらう対談となりました。


羽田知弘 / 合同会社セリフ 代表(左)
愛知県津島市出身・三重大学卒。木材商社を経て、株式会社西粟倉・森の学校に参画。事業部長としてB2B・B2Cのマーケティング、集客施設の立ち上げ・運営等に従事。2022年に合同会社セリフ創業。経営者の左腕として新規事業開発に取り組む。
鈴木宏平 / nottuo株式会社 代表取締役CCO​​(右)
宮城県仙台出身・武蔵野美術大学建築学科卒。大学在学中よりデザインユニットでの活動を始め、卒業後は独立しデザイナーに。建築→プロダクト→グラフィック→webと全領域をサバイヴしたことでブランディングデザインに行き着き現在のnottuoスタイルを確立。

■目次

  • せんだいメディアテークに衝撃を受け建築家を目指した高校生
  • 美大在学中に兄弟ユニットを結成するも解散
  • 地方移住して社長に伴走したらブランディングにたどり着いた
  • 経営者のパートナーであり続けたいからこそお菓子を焼くし器もつくる
  • 独立から16年 直島で届いた世界の壁
  • 地方の中小企業を支えたいからこそ地方が拠点
  • デザインで地方をより良くするために仲間が必要
  • 目指す未来のためにブランディング会社だってブランディングする
  • 自分が死んでもnottuoは死なせない

羽田:鈴木さんは自宅間が徒歩5分のご近所さんでありながら経営者の先輩でもあります。5歳上なのでいろんなことを教えてくれる近所のお兄ちゃんのような存在ですね。村の若い衆で鈴木邸に押し掛けては酒を飲みながらビジネスの話ばかりさせてもらっています。いつも本当にすいません(笑)あらためて今日は鈴木さんの原体験や考えていることを根掘り葉掘り聞いていきたいと思います。

鈴木:よろしくね。そもそもDialocalという企画を始めるきっかけはnottuoの考えていることをきちんと発信できていないなと感じたからなんだよね。何故こんな田舎でデザインの仕事をしているのか、どうして中小企業へのブランディングなのか、ちゃんと説明できていなかった。
そして俺が一方的に文章を書くよりも羽田くんをはじめ対談を通してnottuoの思考の輪郭が見えるようになれば面白いなと思ったんだよね。
うちがそうであるように日本中の中小企業の経営者の考えていることって、きちんと世の中に発信できていないことが多くて、そこにフォーカスを当ててフランクな対談形式で話をすることで、そのシャチョーさん達の人柄や思考や魅力を伝えられたらなって思ったの。だからその1人目として自分を根掘り葉掘りしてもらおうと(笑)。

せんだいメディアテークに衝撃を受け
建築家を目指した高校生

羽田:まずは現在に至るまでの鈴木さんのデザイン遍歴を聞かせてください。建築、プロダクト、グラフィック、WEBとデザインの領域を横断して今のnottuoにたどり着くまでの経緯ってデザイナーさんとしてはなかなかユニークなんじゃないかと思っているのですが。学生時代の話から教えて欲しいですね。

鈴木:そうだね。まずは学生時代から話していこうか。俺は宮城・仙台出身で4人兄弟の末っ子。実は中学3年生の頃には東京の美術大学に進学しようと決めてたのよ。理由は上から2番目の兄貴が東京造形大学に進学してやたら楽しそうにしてたから。図工や美術が好きだったのも影響してるね。
大きな出来事として高校2年生だった2001年にせんだいメディアテーク*が完成したんだよね。学校をサボって建物を見にいってめちゃくちゃ感動した。伊東豊雄さんによる設計で世界的に評価される現代建築なんだけど、建物はもちろんインテリアもサインも印刷物も、全部かっこいいの。いま思えばそれぞれのデザインは分業化されていたんだろうけど建築家になれば全てをデザインできるんだと思ったんだよね。それで武蔵野美術大学(以下 ムサビ)の建築学科を受験して進学した。

*せんだいメディアテーク…仙台市にある公共施設。図書館、イベントスペース、ギャラリー、スタジオ等から構成される。日本を代表する建築家・伊東豊雄の代表作品のひとつ。

羽田:鈴木さんは仙台の公立進学校出身でしたね。同級生のほとんどが当たり前のように東北大学や都内国立大学を目指す中でムサビに現役合格したと聞いてます。

鈴木:いわゆる地方の進学校だったから、美大受験なんてする生徒は蚊帳の外だったけど、卒業するときにムサビと多摩美の赤本を図書室に寄贈したら翌年もムサビに入学した後輩がいたから道を作ったんだね(笑)。でも、ムサビに入学したものの2年間はギリギリ留年しない程度の劣等生だった。こりゃいかんと心機一転して3年生からは真面目に大学に通い始めて1年で120単位を取得して、その結果、俺は建築に向いてない!と気づいちゃったんだよね。建築って規模が大きくなればなるほど期間が長くなって膨大な図面が必要になってくるじゃない?せっかちでズボラな性格の俺には無理だった(笑)。

美大在学中に
兄弟ユニットを結成するも解散

鈴木:大学4年生になって建築以外の方向性を模索し始めたんだけど、フリーランスとして独立したプロダクトデザイナーの兄貴に声を掛けられたんだよね。そして兄弟ユニットとして活動を始めたんだ。
日韓W杯開催のタイミングということもあってサッカーボールをリプロダクトしたラグやソファを制作してTOKYO DESIGNERS WEEKに出展したんだよ。運良くプーマのブランドマネージャーに声をかけてもらって、カフェを貸し切ってプロダクトを展示するプロモーションイベントをやらせてもらったんだよね。
仕事はあったけど俺は俺で表現したいことも違っていたから兄貴とは仲違いしてしまった。そのままプロダクトデザイナーとして活動を始めたんだけど箸にも棒にもかからなかった。こりゃあ食っていけねえぞって(笑)
今度はグラフィックデザインが好きだったので独学でグラフィックデザイナーとして活動し始めた。今でもよく覚えているけど初めての仕事は2万円のロゴ制作だったなあ。予備校でチラシを作るアルバイトしたり、何とか食いつなぎながらデザイナーと名乗れるかも分からない貧乏な日々を過ごしていたんだよね。

羽田:ムサビ在学中に結成した兄弟ユニットでプロダクトデザイナーとして活躍…と聞くと早熟で輝かしい姿を思い浮かべますが現実は下積み感満載だったんですね(笑)

鈴木:まさに下積み時代で泥水啜って極貧であがいてたねえ(笑)。そんなタイミングで下町の特注家具メーカーの経営者から声をかけてもらったんだ。自社ブランドを立ち上げるためにデザインを手伝って欲しいということで関わり始めたんだよね。お金も無いし人手も足りないからグラフィックデザインはもちろんコーポレートサイトや取り扱い説明書、展示会のブースや商品開発まで何でも作ったよ。
時代の変化とリーマンショックのダブルパンチでこのままじゃ潰れるっていう会社が存続を賭けて自社ブランドを開発し戦っている姿は、中小企業の圧倒的なリアルな現場だったんだよね。とにかく自社ブランドで売上を作らなきゃいけないんだけど、なんでもいいから売れれば良いというわけでもなくて、ちゃんとデザインを取り入れて「ブランド」として選ばれた上で売りたいと考える経営者と一緒に仕事ができた経験は本当に貴重だったな。この時期が俺のデザイナーとしての原点で「デザイン経営」に取り組んでたんだなって振り返ると思うよ。だからこそ、どこかデザイン事務所に勤めてデザインのためにデザインするようなキャリアを積んでいたら、きっと今の俺やnottuoは存在し得なかったと思う。

地方移住して社長に伴走したら
ブランディングにたどり着いた

鈴木:特注家具メーカーの仕事が一段落した26歳前後はひたすらWEBサイトばかりを作ってたね。友達がWEB制作会社を設立したこともあって下請けWEBデザイナーとして仕事をしていた。だけど上場企業のプロモーションサイトを何ヶ月もかけて徹夜もして取り組んでも公開したら1ヶ月でサイトを閉じちゃったりする。クライアントの顔すら見えず分業化された末端のデザイン仕事を夜な夜なこなす日々。その仕事で金を稼いで飯を食ってるんだけど俺はいったい何のためにデザインをしてるんだろうって辛い時期が続いた。あの頃が最もデザインの意義や価値を見失ってて、消費されるデザインが楽しくない時期だったなあ。そうこう悩んでいるうちに2011年に東日本大震災が起きた。東京はもういいや地方に移ろうと決めて偶然流れ着いたのが西粟倉村だった。

羽田:東京もういいやってなってから、地方都市とかじゃなくていきなり村っていうのがまた面白いですよね(笑)

鈴木:コネもツテもない西粟倉村に移住してからは、個人のお店や企業さんのツールとかちょっとずつ仕事が増えていったんだけど、初めてブランディングと言えるような仕事をしたのがさほらぼ*さん。最初はコーポレートサイトのリニューアルの相談をもらったんだけど話を聞いていくうちに全部のデザインを変えた方がいいですよねとWEB、名刺、封筒、会社案内…とあらゆるものを制作したんだよね。
地方の経営者と直接仕事をするようになって感じたのは、今までやってきた仕事とは1円の重みがまったく違うということ。これまでデザインに投資したことがないような中小企業さんが清水寺の舞台から飛び降りる覚悟でお金を払ってくれたんだよね。だからこそちゃんと気持ちに応えたかった。目の前にいる経営者や従業員、その先にいる顧客と向き合い続けて、魂を込めてデザインをした。そして、そのデザインが成果を生んでお客さんが面と向かって喜んでる姿を見れたのが嬉しかったな。建築、プロダクト、グラフィック、WEBと必死にデザイン領域を横断してきたけど地方に来てからの仕事で全てがつながったんだよね。自分が積み重ねてきたキャリアが、遠回りしたけど無駄じゃなかったんだなって肯定できた瞬間だった。

*さほらぼ…岡山県勝央町にある工務店「さほらぼ by 佐保建設​​」。nottuoがはじめてブランディング支援をさせていただいたと言える会社。

経営者のパートナーであり続けたいから
お菓子を焼くし器もつくる

羽田:デザイン会社であるnottuoがクライアントワークだけではなく菓子やミーやdrillといった自主事業にも取り組むようになったのはどんな心境の変化なんですか?

鈴木:俺たちがビジネスを理解し実践していなければならない危機感があるからなんだよね。菓子やミーでお菓子を焼くのも、drillで家具や器を作るのも、製造業って本当に大変だなと実感するのよ。実業ってやっぱり自分たちでやってみないと分からないもので、作って終わりではなくて、その作ったものをどう売るか、どうやって買ってもらうか、その全てを机上の空論じゃなく実務で経験するのはやっぱり血肉になるよね。

物やサービスを売るためには、デザインは大きな役割を果たすのだけれど、決してデザインだけで売れるわけではない。実業をやっていればそんな当たり前のことに気づけるのだけど、デザイン会社でクライアントワークだけしていると、ともするとデザイナー視点でしか物事が見えなくなってくるんだよね。そうなるとビジネス視点の経営者と共通言語がなくなって、最も重要な信頼関係を築けなくなっちゃう。

美しいデザインが必ずしも正解ではなくて、やっぱりクライアントが愛してくれるデザインが正解だと思ってるんだ。なぜなら僕らはビジネスのためのデザインを提供していて、お客さんが愛して使って胸を張って売ってくれるデザインじゃなかったら成果なんて生まないからね。デザインは手段であって目的ではないんだよね。
中小企業の経営者にとって最高のデザインパートナーになるためには俺たちもまたビジネスに向き合い続けなければいけないと思っていて、経営者の未来を見据える目線も現場の苦悩や手触り感も、どちらも知っていないと伴走なんてできないから。

独立から16年 直島で届いた世界の壁

Photo : Kenji Kudo

羽田:2023年4月にはnottuoがブランディングデザイン・建築設計を担当した直島旅館ろ霞(以下 ろ霞)が世界三大デザイン賞・iF DESIGN AWARD2023を受賞しました。同じ村民としても驚きましたが、田舎から世界を目指すと言い続けてきたnottuoにとっては象徴的な出来事でしたね。

鈴木:ろ霞は完成して涙が出たんだよね。オーナーであるきゃしゅれさん*が泣いて喜ぶ姿を見て俺まで泣いた。自分でも驚いたよ。同時に仕事で泣けるなんて幸せだなあと思ったんだよね。本当にいろんな人が関わりながら3年を費やしたプロジェクトだったからね。旅館の4代目として家業を継いだきゃしゅれさんにとって、ろ霞は自分が初代として積み重ねてきた仕事の集大成と言えるような旅館で、まさに人生が掛かってるプロジェクトだった。10年来で仕事を一緒にしてきたけど、そんな大事な仕事でも声をかけてもらえたのは本当に嬉しかった。
どんな旅館にしたいのかをずっと一緒に考え続けて、コンセプト、ネーミング、ロゴ、空間、サイン、ユニフォーム、音楽、香り、備品のセレクト…と旅館の全てをデザインした。ろ霞には俺たちが地方でデザインをし続ける理由が全て凝縮されているんだよね。
ろ霞は世界中からゲストを迎える新時代の旅館をつくろうという思いから始まって、3年を掛けて完成して、グッドデザイン賞、DFAアジアデザインアワード、そして今回のiF DESIGN AWARDと階段を登ってついに世界を獲ることができた。世界に誇れる旅館をつくろうという思いが証明できたんだよね。朝ごはんを食べてる時に受賞の知らせが舞い込んで飛び跳ねて喜んだよ(笑)。

*きゃしゅれさん…直島旅館ろ霞を運営するA&C株式会社の代表・佐々木慎太郎さんのニックネーム

地方の中小企業を支えたいからこそ
地方が拠点

羽田:鈴木さんは2011年に東京から西粟倉村に移住しました。今や移住12年を越えた古株と言っても過言ではありません。デザインという場所を選ばない仕事をしているにも関わらず鈴木さんが西粟倉村で仕事を続ける理由が、実はnottuoのらしさに繋がってるような気がします。

鈴木:それは最近よく考えていることなんだけど、東京に会社を置く方が確実に合理的だよね。仕事はもちろんあらゆるものが東京にはあるからさ。でも、一方で俺たちがデザインでお手伝いしたいのは地方の中小企業なんだよね。
年間数千万人が来場したり数千億円規模のビジネスに関わるのなら東京で大企業と仕事をするべきだけれど、俺たちは目の前にいる経営者やスタッフの人たちの顔が見えて、一緒に喜びを分かち合える関係で仕事がしたい。だからこそ地方の中小企業と膝突き合わせて仕事ができる距離感でいたいと思ってる。
クライアントと同じように地方に身を置くからこそ提供できる価値があると信じてて、事実、東京で暮らしていた時よりも西粟倉村に来てからの方が仕事は増えたし稼げるようになったからオモシロイよね。

羽田:nottuoの拠点である西粟倉村は人口1300人でコンビニすらありません。さらに鈴木さんやぼくが住む知社集落は信号はおろか自販機すら存在しない(笑)山と田んぼに囲まれて生活しているわけですがこの環境はデザインの仕事に活きてますか?

鈴木:きっと活きてるよね。今や仕事はパソコンがあれば世界中どこでだってできちゃう。だけど満員電車に揺られて自宅と職場を往復するような生活は感覚が麻痺してるだけでストレス過多なはず。それに比べて田舎はごみごみした環境の精神的ダメージは少ないし、気持ちにゆとりができるんだよね。ちょうど一昨日の話だけど散歩がてら山でタケノコを掘って晩ごはんのおかずにするっていう、季節を感じられる豊かな生活が当たり前にできるのが田舎に住む大きなメリットだと思うよ。
一方で田舎に選択肢が少ないのがデメリットでもある。そこを補うために知識や経験のインプットを目的として月に1度は東京に出張するようにしてるよ。nottuoではインプット出張*という制度も導入してるね。

*インプット出張…知識や経験のインプットを目的にしたnottuo独自の出張制度。会社が経費を負担し、2ヶ月に1度はスタッフが好きな場所に出張できる

デザインで地方をより良くするために
仲間が必要

羽田:1人でも生き抜けるスキルを持つ鈴木さんがnottuoのチーム化を模索し始めたことについて知りたいです。それはデザインを通して地方をもっと面白くしたいという目標があるからこその選択ですよね。現在はスタッフ募集中とのことですが、どんな人と一緒に働きたいですか?

鈴木:誤解を恐れずに言うと、田舎でのんびりスローライフをしながらデザインの仕事もしたいという人はうちには合わないと思うんだよね。なぜなら俺たちはそこそこハードワークしてるから(笑)これは西粟倉村全体のローカルベンチャーも同じだよね。
じゃあどんな人が向いてるんだろうと思うと、地方の中小企業や経営者との仕事を楽しみたいって人だと思う。俺は東京では分業化された業界の中で末端のデザインにしか関わることができなかった。だけど地方に来た今はブランディングを切り口に目の前の経営者と膝を突き合わせてじっくり話し合って、その人のために、その企業のために、必要なもの全てをデザインしてる。グラフィックやWEBはもちろん、商品や空間、サービスだってつくっていて、何を作るべきかすらも考えられる仕事をしている。それこそ高校生の頃に憧れた「全てをデザインする」仕事ができるようになったんだよね。。今はまだ小さな会社だけど、俺と同じように全てをデザインしたいって人にはnottuoは最高の環境だと思うよ。

羽田:地方でジャンルに縛られずデザインできる環境は武者修行の場にふさわしいですよね。nottuoで修行した人って力をつけたら独立して自分でやっちゃう気がします(笑)

鈴木:正直、昔は嫌だったんだよね(笑)独立を前提にした丁稚奉公のような薄給腰掛け的なデザイン事務所にはしたくなかったから。だけど今は考え方が変わって、独立したい人でもnottuoに来てくれたら良いと思えるようになったんだよね。うちで長く勤めてくれても良いし、修行した後に地元に戻ってブランディングの仕事を始めても良い。
nottuoはデザインで地方から社会を変えていきたい。地方の魅力的な商品サービスを提供する中小企業を増やすことで、デザインの力で「地方」という選択肢を増やして豊かな社会に変えていきたいと思ってるんだよね。だったら同じ志を持った仲間が日本中に増えて各地で活動できるようになった方が良い。だってnottuo単体で全国47都道府県の全ての中小企業をサポートすることはもちろん、世界の仕事まで全て担えるわけじゃないんだからさ。

目指す未来のために
ブランディング会社だって
ブランディングする

羽田:仲間を増やした方が未来に早く近づけるということですね。富山のROKU*さんをブランディングした経緯と同じ感覚ですか?ブランディング会社をブランディングするっていうのも面白い取り組みですよね。

*ROKU(ろく株式会社)…富山・高岡を拠点に実業家と建築家によるジョイントベンチャーとして設立されたブランディング会社

鈴木:そうそう。あれは面白い仕事だったよね。ブランディング会社をつくりたいからブランディングしてくださいって相談は初めてだったから。本来なら同じブランディングサービスを提供する競合会社だけど一歩引いて見れば目指す未来は一緒だもの。だったらnottuoが積み重ねてきたノウハウをクローズドに抱え込むのではなくオープンソースとして渡してしまえば良いと思ったんだよね。だからROKUさんには俺たちが持っている全てを伝えた。nottuoが富山の仕事を100件やれるかと言われたらやり切れないもの。だったらうちと同じ考えを持っている富山のROKUさんがやった方が良い。nottuo単体の利益よりも世の中がデザインで良くなる方がよっぽど大事だよね。

自分が死んでもnottuoは死なせない

羽田:最後に、現在は4名体制で事業に取り組むnottuoですがチーム化が進んだ先に描く未来はどんなものですか?

鈴木:俺自身の人生設計では30代でnottuoのチーム化は完了して、40代になったら事業会社をもう1社やりたいと考えてたんだよね(笑)だけど経営者としてのアクセルの踏み込みが甘くてまだまだチーム化が完了できてない。
だからこそ今はチーム化にしっかりアクセルを踏んでる状況なんだよね。nottuoは俺が死んだら解散するような個人事務所ではなく、地方のデザインを地方で生み出す会社として未来も残り続ける価値のある会社にしたいと思ってる。だから経営のバトンはいずれ誰かに渡したいと思ってるよ。フリーランスの屋号として誕生したのがnottuo1.0。チーム化し会社として成長を目指す現段階がnottuo2.0。その先に事業会社でビジネスを成立させるnottuo3.0がある。
ブランディングが大事だと言い続けるnottuoのノウハウが体現されたリアルビジネスを自分たちの手でやりたいんだよね。企業価値を高める手段としてのデザイン経営を実証する事業会社を作り上げたい。それができなきゃ説得力がないし、企業価値を高めるデザインこそが俺たちnottuoの存在価値だもんね。(おわり)

Photo : ミー( @mee__lifestyle
Edit : 羽田知弘( @hada_tomohiro
Location : drill store( @drillstore_okayama